20110924
もっと勉強してみたいなって思った。完全独学でただそのときもってたカメラでシャッター切ってたけど、どうやらもっと面白い世界があるみたい。
なにが良い写真なのかもわかんないし、ほんとに、感じたままに好きなのは好きって思ってるんだけど。それでもいいような気がしてきた。世間一般的なものさしをつかって作品を見るのは、それは写真だけじゃなくって、映画とか、絵画とか、音楽、そして人間も含めて、自分の生まれ持った感覚を押し殺しているようにしか感じなくて苦しい。
ただ、撮るのは、技術もあるわけで。勉強してみたいなって思った。
たくさん触りたい。息するように撮った事なんて、ないよ。
知り合いのカメラマンさんが出展してるからと、Tokyo Photo 2011にいってみたら、みんな熱中してた。カメラ、好きな人だらけ。
篠山紀信さんのトークショー面白かった。彼は本物のアーティストだし、それ故感じる興奮とか楽しいという感情を、どんな場面においてもアリにしている。それが例えば、3月11日のあの出来事にしても。
彼も立派な人間だし、もういい歳である。息するように撮ったという被災地の写真は、落ち着き始めた動揺と、時間が経ってうまれた悲しみ、災害といえどもあくまでもひとつの出来事(事の大きさを平等に考えたときの概念)としてとらえてるのが伝わってきて。「自然が自然を破壊して、自然が自然を創造した。」という言葉を残していった。
東京にきて、チャリティーイベントとか、そういうのがたくさんあって
東京にある企業とか、芸能人もそうだし、アーティストも。すごくみんな熱心に関心もってて、被災者のひとと感じること思うことは違えど、ずっと、想っているのだなと感じる。それを仕事だからと言う人もいるけど、なんでもいいんだと思う。悲しみという感情は時に、大きなエネルギーとなって。綺麗な形で、表に出てくる。
常に何かを求めているのは、確か。8割は、自分に対して。
女として、どう生きるか。ということに執着することをの大切さを教えてくれた、私の憧れの女性達。
彼女達はみんな、寂しがりやだった。
楽しかった日の余韻は結構長く続く。嫌な事全部、薄まってくれた。