20120719
そろそろここのブログに書くのをやめようかなあああ というのも
書いてて思うのは、毎回内容が同じなんですね、大体。
そんなたいして、成長もしていなければ
日々の慣れにたいしてもがいているだけというか。
写真もあげなくなったのは、自分が写真の人間だという事を定着させたくない抵抗とか
まあ、ここでいうのも変なんであれなんですけど
とりあえずそういう具合の悪い感覚があるので、そろそろここもおしまいかなあと。
だらだら書いてただけなんだけど、このブログいいねっていってくれるひと
好きだよとか、刺激受けたとか、なんか感動して泣いちゃったとか、ほんとたくさんそういううれしいこといってくれるひといっぱいいて。うれしかったです。
ただまあ、成長したいって言うのもあって。リンクはずすだけで消しはしないんで、
見れないとしんじゃう!っていう変態な方はブックマークでもしておいてください笑
次のブログはそのうちかな。自分のHPもつくってるところなんで、それが出来次第かなと。たぶんこういう自由にかけるようなところはつぶさないというか、文章を書いて発信していくってことはやめないと思うので。いまのところ、文章をつくることにしか本当の居心地の良さを感じないというか、ちいさいころから当たり前だった場所でもあり、血を通して家系が与えてくれた場所でもあるので。そのうちふらっとべつの場所に戻ってきます。
相変わらず、フェイスブックはろくに更新しないで見るだけ。
相変わらず、ツイッターはくだらないことを呟くだけ。
SNSをバカにしきってるのがあって。
本心は、唯一ここにあったんだと思うのだけれど。
いまはちょっと溜め込んでいかないといけない時期にさしかかるような気がしているので。
また会いましょう。
冬かな、多分。
20120714
よく雨が降るなあと思っていたら梅雨なんですね。なんてロマンティックなこといってますけど、現実では部屋干しの匂いが気になる所です。しかも昨日燃えるゴミ出すのわすれて、月曜までの辛抱、ちょっと萎えてます。
ここ2週間以上毎晩永遠と聴こえる猫の喘ぎ声のせいで猫嫌いになりつつあります。
やっぱり飼うならハリネズミ(ハウスダストアレルギーの方でも飼えますよ)。
毎日普通に、本当に落ち着いた生活をしているのに。
なんで、って思うこと多々。世の中、うまくはできてないみたいで。
日々、考えるのは自分の事ばかり。まず愛してあげないとと焦るばかり。
誰かを嫌ったり苦手に思う暇すらなく(元からそういうのは好きじゃないけど)
段々、自分のしてしまったこと。ほんの小さい事とか、最近少し引っかかってしまったものとか、そういうの全部。開き直ることもできず、しかしどうすることもできず。罪悪なんて感じたってどうにもならないんだろうけど。
ずいぶん雑な生き方してるんだなあと自分で自分のこと。
傷つくのは自分だけでいいな、それで済むなら、と思うくせに。
いざ自分が傷つきそうになったら、傷ついたら、どこにも感情をぶつけれない息の詰まった感覚を憶える。
それでも相手を傷つけたくないのは、傷つけた自分が一番辛い思いをすることを分かっているからだ。
結局そういうのは、自分あっての相手なんだろう。別にそれでも良いと思う。そして相手には無条件での許しや逃げ場を最終的に与えたりする。叱るのだけが、愛だとは思っていない。いろんなかたちの愛情があると思うけれど、最後は居心地のいいところに置くべきだと思う。親がそれを、教えてくれた。
相変わらずお人好しだねやれやれ、といわれても。治すつもりはない。本音を勢いに任せてぶつけるだけがまっとうな付き合いだとは思わない。
言いたい事、伝えたい事、あるけど。でも自分のこと相手の事を考えてべつのかたちに起こす時に生じる感情とか、そういう、普段自由にしてたら絶対生まれないであろう小さなチリみたいなのが、やけに生活臭いというか。好きなんだ。色気も感じる。そういうのに執着してないと、いまのところ何にもうまれてこないような気がしている。
自分は自分でしかないな、とよく口にするものの、あんまり自己理解できてなかったのだなと思うのは。
わたしは思っているより大人で、わたしは思っているより子供だからだということを、最近知ったから。
20120709
ずっとブログを書こう書こうとしていたのだけれど、なにか感動とか刺激とか、日常のなかになにかを見つけた時にしかかけないのだなあと思った。つまり、ここは感情論。4ヶ月ぶりですお元気だったでしょうか。
なにかに取り付かれたように、毎日一本ずつの映画をみたり。
大好きな村上春樹の小説をデビュー作から順に全部再読してみたり。
毎日喜んでもらえるような夕食をつくるのに頭を抱えたり。
新しいバイト環境でいろいろな境遇の中で生きる人たちとともに働いたり。
地味に撮影の仕事して、新しい事たくさん勉強したり。
そんな4ヶ月でした。
染まりやすい自分が、自分のすきなこと、すきなものを見つけれたのが大きな収穫で。
あ、すごいな!って思った瞬間全部自分のものにしようとする癖があるからか、なかなか本質的なものと向き合う時間がなかったなあと、今になって思う。
100パーセントは得ることができなかった、というか、70パーセントでいいなと、無意識のうちに入り込まないようにしているのもあって。
100パーセント得る為に払う代償を、いまのわたしはもっていないのもまた然り。
大人になったら、80パーセントまでいけるかもしれないし、どうしても100パーセント得ないとダメになるようななにかをみつけるかもしれない。
じゃあ今持ってる50パーセントとか70パーセントとか、まだ20パーセントのものとかを全部合わせて、アウトプットしようかなと思って。やりますよ。というかもう始めてます。お披露目はわたしが20歳になる前に。
あんなに大人になりたかったくせに、いまは。
大人っぽいねと、何度言われた事か。それに対する、嫌悪感と焦り。無理して、合わせようとしていた。もちろんこころも体も19歳で、生じるズレへの失望感。
けれど、わたしが持つ19歳のこころとからだを、肯定してもらえることが増えてきて、楽になった。本来の自分だと思う。少しずつ鈍くはなっているけれど、それでもまだ敏感に動く感じるこころを、押さえなくて済むようになった。
世界は、ささやかだけどかけがえのない、美しいけれど壊れやすい、確かにあるのに見過ごしがちな、そんな事に満ちている。
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