20120526
新しくとあるレストランバーで働いています。
飲食業は避けて通って来た道。。けど、毎日自炊してる中で生まれて来た勉強したいという欲が。。
わけあって、前のバイトをやめようと思ってた良い機会でもあると自分に言い聞かせて向かった面接。 面接中に採用をいただいて、外国人がたくさん働いている質の良いレストランで修行中です。 何事も、経験してみないとわからない。
今までやってきた大企業のアパレルとは正反対の世界。 人間性と、センスと、モラル。ハウトゥーはない。 なれるまで時間がかかりそうだけど、未知の世界は疲れる代わりに楽しさが多い。
精神的にも肉体的にも限界のギリギリだったみたいで、いやいや病院に行って見たら、案の定の診察。 それでもわたしはこのまま進み続けなきゃいけないなぁ、なんて、勝手に。 寝れば疲れは取れるから、ご飯を食べれば身体は壊さないから。
慣れの中に見出す小さな幸せを繋いでつないで。 なにか大きな刺激が欲しいなぁとか 大きな海がみたいなぁとか そういうことぼんやり考えてて、 日々の苦しみとか現実を少しでもふと忘れられるようなそんな出来事を探してる。 五月も終わる。 気温が上がってきて、雨がよく降る。
金曜夜の五反田は騒がしく 疲労の余興でご飯を飲み込み何かにふけることもなく寝る夜。 一生懸命な証拠。苦しいのは、楽しさを知っているから。
そういえばここはさみしいさみしい東京であった。
なんて、 あんなに嫌いであんなに好きだった孤独を忘れるぐらい。 ギブし続けて、かえってくるテイクだけを頼りに今日も。 たくさんのひとに囲まれて生活してる。
感じるところとか、感情が生まれるところとか そういうわたしの知覚が勝手に勝手に大人になっていって。 というか、慣れ故の無感。それに対する抵抗。 滅多に感じなくなった感動や幸福、悲しみや孤独を 少しでもいいから大きく手に入れられるように。
20120512
どうやら魂年齢というものがあるらしい。。
と、いうのも。
ババ臭いと言われ続けてきた私(身も心も19歳)は魂年齢が高いからだという。
精神年齢というものではなく、前世に人間として産まれてきた回数のことを指すんだとか。
魂年齢が高ければ高いほど魂が経験してきた人間(人生)が多く、そういうひとは自ずと効率の良い道を選んだり、良し悪しの判断をしやすいんだとか。。
半分信じて、半分疑ってその話を聞いていたんだけれども(そもそも興味がなかったとはここでは明言しないでおく)
なるほどね〜とか思ったり、思わなかったり(スピリチュアルなものは信じてるわけでもないし疑ってるわけでもないので。)
参考までに。。
自分が信じているものなんて自分の中にあるぼんやりした具体化できないものしかないなあ、というのも
小さい頃から母に「あなたの神様はあなたの心の中にいるのよ」と教えられてきたからだと思う。
最近また毎日映画を一本ずつみるようになってから、あまり手を出してこなかった邦画を中心にしらみつぶしのように量をこなしているんだけれども
この前は是枝裕和監督の「DISTANCE」(ディスタンス) を観た。
宗教団体が巻き起こした大量無差別殺人事件の加害者の遺族らの話なんだけども、
宗教ねえとか思って。宗教団体が巻き起こす事件っていうのも、わたしがはっきりと意識を持つ以前に巻き起こってたもので、このごろはあんまりそういうのがないから「宗教団体が巻き起こした事件」っていうのは死語と似たようなニュアンスを含んでいる。(非常に個人的なんだけれども)
宗教信者(世界中あらゆるものを含む)にたいして否定的な事は一切思わないし、かといってこれといって宗教を信仰した経験もないので(葬式とかで体験はしたことあるんだけれども、形式的なもの)肯定もしないんだけれど。
何かを信じるというのは相当なエネルギーを有するんだろうなといつも思っていて、うらやましいような、ばかばかしいような(これまた無関心)。
じゃあお前は自分しか信じないのかよう っていわれたらコレまた違うのかな。
確かに、先ほど述べたように自分の中にあるぼんやりした具体化できないものを信じてる(しかもぼんやり)わけなんだけれども、あと強いて挙げるなら他人との間にあるコミュニケーションのようななんだかよくわからないぼんやりしたもの(あくまでも具体化させたくない。。のかな私)かなあと思う。
なにごとも、ぼんやりがいいんじゃないか。というスタンスでいるのは、
自分の中にある信じたいものなんてはっきりさせたら飛躍のしようがないからつまらないよねっていう、信仰と隣り合わせの希望であったり
具体化させることで得れる満足というものが私にとっては非常にこわいものでもあるからだ。
信じてるけど、、自分の事。でも、アンチなんだよね。っていう、アレ。
都合がいいのかもしれないのだけれど、残念ながら私にとっては私の神様は皆様と共有できないところにいるので。。
小さい頃からがっつり運動少女だったこともあり、何度試合で神に祈ったか。
でも、あれ。いま思い起こせば、自分の心だったなあ。
つらくなったら下向くな、上みろ。って教えてくれたクラブチームのコーチに影響受けて、いまでも何かを信じたくなったとき、上をよくみるんだけど。
ああ、でも星に願うのはちょっとベクトルが違うよな。
自分の力でどうにかできないことを願うとき、星とか月とかよくみてお願いしてたな。あれは信じるというか、おまじないかな、そういうシグナルも嫌いじゃない。
話がまとまらないので、遠藤周作の「沈黙」を読む事にする。(機会があればぜひ読んでほしい。)
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