20120512



どうやら魂年齢というものがあるらしい。。

と、いうのも。
ババ臭いと言われ続けてきた私(身も心も19歳)は魂年齢が高いからだという。
精神年齢というものではなく、前世に人間として産まれてきた回数のことを指すんだとか。
魂年齢が高ければ高いほど魂が経験してきた人間(人生)が多く、そういうひとは自ずと効率の良い道を選んだり、良し悪しの判断をしやすいんだとか。。

半分信じて、半分疑ってその話を聞いていたんだけれども(そもそも興味がなかったとはここでは明言しないでおく)
なるほどね〜とか思ったり、思わなかったり(スピリチュアルなものは信じてるわけでもないし疑ってるわけでもないので。)
参考までに。。


自分が信じているものなんて自分の中にあるぼんやりした具体化できないものしかないなあ、というのも
小さい頃から母に「あなたの神様はあなたの心の中にいるのよ」と教えられてきたからだと思う。
最近また毎日映画を一本ずつみるようになってから、あまり手を出してこなかった邦画を中心にしらみつぶしのように量をこなしているんだけれども
この前は是枝裕和監督の「DISTANCE」(ディスタンス) を観た。
宗教団体が巻き起こした大量無差別殺人事件の加害者の遺族らの話なんだけども、
宗教ねえとか思って。宗教団体が巻き起こす事件っていうのも、わたしがはっきりと意識を持つ以前に巻き起こってたもので、このごろはあんまりそういうのがないから「宗教団体が巻き起こした事件」っていうのは死語と似たようなニュアンスを含んでいる。(非常に個人的なんだけれども)

宗教信者(世界中あらゆるものを含む)にたいして否定的な事は一切思わないし、かといってこれといって宗教を信仰した経験もないので(葬式とかで体験はしたことあるんだけれども、形式的なもの)肯定もしないんだけれど。
何かを信じるというのは相当なエネルギーを有するんだろうなといつも思っていて、うらやましいような、ばかばかしいような(これまた無関心)。

じゃあお前は自分しか信じないのかよう っていわれたらコレまた違うのかな。
確かに、先ほど述べたように自分の中にあるぼんやりした具体化できないものを信じてる(しかもぼんやり)わけなんだけれども、あと強いて挙げるなら他人との間にあるコミュニケーションのようななんだかよくわからないぼんやりしたもの(あくまでも具体化させたくない。。のかな私)かなあと思う。

なにごとも、ぼんやりがいいんじゃないか。というスタンスでいるのは、
自分の中にある信じたいものなんてはっきりさせたら飛躍のしようがないからつまらないよねっていう、信仰と隣り合わせの希望であったり
具体化させることで得れる満足というものが私にとっては非常にこわいものでもあるからだ。

信じてるけど、、自分の事。でも、アンチなんだよね。っていう、アレ。
都合がいいのかもしれないのだけれど、残念ながら私にとっては私の神様は皆様と共有できないところにいるので。。


小さい頃からがっつり運動少女だったこともあり、何度試合で神に祈ったか。
でも、あれ。いま思い起こせば、自分の心だったなあ。
つらくなったら下向くな、上みろ。って教えてくれたクラブチームのコーチに影響受けて、いまでも何かを信じたくなったとき、上をよくみるんだけど。

ああ、でも星に願うのはちょっとベクトルが違うよな。
自分の力でどうにかできないことを願うとき、星とか月とかよくみてお願いしてたな。あれは信じるというか、おまじないかな、そういうシグナルも嫌いじゃない。
話がまとまらないので、遠藤周作の「沈黙」を読む事にする。(機会があればぜひ読んでほしい。)