美大に入学して、ここの環境はつくづく特殊だなあと思っていたけど、芸祭3日間を通してほんとに入学してラッキーって思うような大学でした。
「どうやらここの大学はみんなそれぞれなにかものをつくってたり企画して活動しているらしい。」それを前提に過ごしているつもりだったけど、今回はそれをまじまじと痛感したというか。いいなって思った。
芸祭はずっと飲んだくれって酔っぱらって遊んでただけなんだけど、実は視デの先輩二人だけをひたすら撮り続けたというフォトジンをだして売ってて。
偏った内容なのに、買ってくれるひとがいるんですね。共通の友達が買ってくれるのかと思ってたら結構そういうわけでもなく、しかも買って良かったよと言ってくれたり、刺激を受けて自分もこういう印刷物だしたいなっていってくれるひとがいたり、口コミをきいて芸祭が終わった後に欲しがる人が何人かいたりと。赤字にならなきゃいいか〜って思ってたぐらいなんだけど、なんだかんだこういう反響があるのは嬉しい。自分が成長してるなってぼんやり感じたのは高校から印刷物にするっていう行為をぼちぼちやってたからなんだなと思うし、継続するっていうのはいいことだなあとも思った。ずいぶん中身のない生活をしていたように思えたけど、なにかしら吸収はしていたらしい。すこし安心した。
「顔つきが変わったよね。」っていうのを多くの人に言われるようになった9月あたりから少し自覚はしていたけど、やっぱり変わったみたい。どうやら場合によっては急に変わるものらしい。いいのか悪いのかはわからないけど、多分やっと慣れてきたというか、少しはタフになったんだと思う。学校いって、深夜までバイトをして、やりたい仕事を少しずつこなして、ちょこっと遊んで、生活リズムが前より結構ハードになってきたのもあるけど、無理しない程度に抑えてた感情をすこし動かしているのもあって、なんとも人間らしい生活をしているなって思って嬉しくなってる頃頃。本当に孤独な人は孤独だなとも自覚しないだろうにと思いつつ、私はもちろん孤独ではないし、さみしい夜も、感情的になって悲しいときも、そういうしあわせの反対側にある感情をなにかの材料にして消化しているというか、発動源にしている感じもあって、悪くない。
前にここのブログにかいた通り、報われたいっていう欲望が自分のなかのキーワード(そこまで重要ではないけど)になってて、じゃあ報われるための選択肢どれを選ぶかって思って、数えてみたら5つあった。
そっか、5つもあんのか。結構ありふれてるんだなってぼんやり思ってたら2と3はなぜか消えていて、キラキラしてて霧の中にある1と、いつもそこにあるようなお手軽な4がのこってた。5っていうのはありふれたもののなかの本当にありふれたものだからあんまり興味がわかなかった。
要は、報われるための選択肢はぼんやりしてると消えたり出てきたりするようで、しかもありふれたものを自分は選択しないんだなって思った。報われたいといいってるけど、そう簡単に報われちゃつまんないっていうのは自覚しているようで、結局しばらく報われないんだろうなってぼんやり思ったんだけど
果たして自分はなにに報われたいのか?っていまキーボードを打ってて思った。そしてその5つの選択肢は本当に報われるための選択肢として機能をするのかという疑問さえ浮かんできて、よくわかんなかったんだけど、ようは、キラキラしてて霧の中にある1という選択肢を手に入れたいだけなんだなって気づいたり気づかない振りをしたり。ありふれた社会の中で、本当に心底欲しいものなんて、ほんと1、2個ぐらいしかない。ありふれた社会の中でありふれたもののなかからわざわざ買ったシャネルのCANDYという名がつけられたありふれたチークを自分の頬に塗りながら、ありふれた社会ね、本当に欲しいものね、って小さな声に出して自分の耳でそれを聞いた。