20120216



毎日あんまり考えないで撮ってる写真を少しずつ表に出したりプリントしたりするだけで
なんだろうね、恥ずかしい気持ちに少しなる。心の中をみられたような、しかも本心とかあまり表に出さないし触れて欲しくないようなところとかね、感覚的な話なんだけども。
どうやったら隠せるんだろう、隠し方をまだ知らない。大人になったらできるのかな。隠す事が良い事なのかも判断すらできないんだけれど。それでも現像に出す楽しみを押さえきれないというか、これはデジタルカメラにはない楽しみとか恥ずかしみなんだなあと。なにげなくやってみた心理テストで“ハイテクな最新機器もすきだし、その反面古き良きものにも価値を置く傾向がある”ってさ、なるほどね。


2年前から細々とひとつのテーマに沿って作品撮りをしているんだけど、表に出さないのは自信が無いからとかではなく。なんていうか、まだ自分のなかで処理が終わってないなあっていうのが強くて。表現するという事にあまりにも生真面目になっているせいもあるんだろうな。自分のクリエーションが社会に与えるものとか、人に与えるものとか考えてたら時間経ってた。自分のプライドとか、エゴとか、そういうもの。逃げるように、肯定してあげるために、そういう醜い感情をぶつけてるから、自分で受け入れてあげる事が難しいんだ。って、難しく考え過ぎかなあ。生真面目で不真面目な性格をコントロールできたらいいのだけれど。。
題材がネットに上げれない範囲のものだから、次の秋冬あたりを目処に個展でもやろうかなあと思ってる。まだまだ数が足りないから、撮りたいんだよなあ。でもここんところなんにも浮かばなくて。最近はもっぱら文章に逃げている。考えなくて済む日々のスナップ写真は感情と脳内を垂れ流しに、哀愁とかなにかにたいする苦みとか、ふっと現れた甘みの残りとかを含んで、だらしないんだけど、すごく、いいんだよな。自己が満足されて幸せっていう感覚、バレンタインの女の子の心と一緒。そういうのが大好き。



14日、夢でみた洞窟に行って来たら、雪降ってた。

15日、暖かいなあと春の訪れを感じながら、働いて、読書した。

16日、起きてすぐにイタリアのチョコレイトを食べたりして、働きにいった。粉雪降る都庁のビルヂングを走って帰った。





twitterのTLには自分がフォローしているひとたちの傾向が偏っているからか、クリエーションとか表現する事とかに関するツイートが常に流れてて
偉い人、成功しているひと、人気が集まって来たひと、駆け出しの人、美大生、学生団体、とりあえず、そういうひとたちの想い、考えかた。
感心したり、美大という環境で苦しんでいる分際としてのアンチ精神がでたり、様々なんだけど。それで、あんまりそういう言葉って頭の中に残らなかったりしてね。
でも、ある教授がある授業の講評のときにいってた言葉があって、メモしたわけでもないんだけど、ずっと脳内にのこってる。

「クリエイティブっていうのは意味の分からない事をしているんだから、それが意味分かるようにしないとだめ。」


あふれる日常、社会の中で、なにか、伝わるものをずっと探してる。ぼんやりなんだけども。